長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

連吾川戦線での徳川軍の奮戦を伝える武勇談。
連吾川が谷を刻みはじめる下流地域が、大久保兄弟が活躍した勝楽寺付近激戦地である。
兄弟の弟である大久保彦左衛門の書いた『三河物語』は、次のように記している。
「信長軍が柵際(さくぎわ)へ押し詰められ、柵の内側へ退いていた。
大久保兄弟の指揮する部隊は、柵の外へ攻め出て、敵が攻めればすばやく引き下がり、敵が少しでも引けば激しく攻め込み、これを繰り返して、相手に食いついて離れることがなかった。
これを見ていた信長は、『家康はよい部下を持たれた。
私は彼らほどの者を持っていない』と云った。
武田軍の誇る山縣隊も、こうして次第に兵力を消耗させられていった。」
・・・・・・戦いから五十年、かつての栄光が消え、不遇の時代を送っていた一族を励ますために、兄たちから聞いた話を弟がまとめたその一つ。

勝楽寺付近の景色

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