長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

東郷東小学校の北門から百・ほど下ると宮脇(八束穂)に出る。
五反田川を渡る橋に「甲田橋」の標示があり、『甲の田』の伝説の場所である。
三百年前の街道の記録は、次のように記している。
・長篠合戦落足ニ、初鹿伝右衛門カ武田家ノ重代諏訪法性ノ甲ヲ捨シ所也。甲田ト云アリ。
連吾川の決戦場から離脱した武田の兵士が、疲れと暑さで由緒ある甲をこの辺りの田に捨てたが、後続の武田兵が拾って持ち帰ったというものである。
勝頼主従が、敗退の中とはいえ、武田家の家宝である甲を捨てたとは考えにくい。
恐らく、退きながら倒れた武田将兵の甲冑がこの辺りでいくつか見つかった※のであろう。
ここは、決戦場からの出口であると共に、浅谷地区を経て寒狭川沿いの出沢にぬける武田軍退路の道筋である。
※その一つと思われる甲が、設楽原歴史資料館に展示してある。

甲田橋

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