長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

長篠城を囲んでいた武田軍が、連吾川をはさんだ高台に姿を現すと、織田・武田連合軍の緊張は一気に高まった。信長本陣の極楽寺山に集まった緒将の顔も自ずと固く、次々に入る物見の兵の知らせにも不安がよぎる軍議であった。
このとき、雰囲気を察した家康が、酒井忠次に「其方が得意の蝦掬(えびすくい)の狂言を」と所望すると、「かしこまって候」と早速これを演じた。
平生得意とするだけあって居並ぶ者みなどっと笑い、軍議の雰囲気は一変した。
その後の知らせに、「武田軍、多勢にあらず」の報もあり、軍議は以後志気高く進んだという。
時に応じての酒井忠次の機智とユーモアが、場の空気を和らげ、新たな活気をもたらす働きをしたわけで、決戦勝利に貢献したといえる。
この「蝦掬の所望」は、家康ではなく信長と記した文献もあるが、忠次の「えびすくい」の舞は変わらない。
この極楽寺山のすぐ隣に、『夷ヶ谷城』と伝えられる城跡がある。

夷ヶ谷城標柱と案内板

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