長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

JR飯田線・三河東郷駅と道路を隔てて反対側に、戦国の決戦ゆかりの「勝楽寺」がある。
寺の南側一帯は川路の穀倉地帯で、豊川べりまで水田がなだらかな傾斜をつけて広がっている。
寺の山門から200メートルほどのところに「傳山本勘蔵信供之墓」と記された立派な石碑と小さな一石五輪が祀られている。
川中島で討死にした武田軍の名軍師・山本勘助の次男(嫡男との説も)である。若輩ながら足軽大将として設楽原に参戦し、激戦の中、二十歳の若さでこの地に倒れた。近くの下川路の村人は、なぜか「勘助の墓」と呼んで、香華を絶やすことがない。勘蔵信供の墓としては、大海の旧道添いと川路の豊川対岸である日吉側にもある。大海の碑は戦死の場所を、日吉は山本一族の使命として勘蔵の塚を見守るという…
戦国が今に息づく伝説の碑である。

傅山本勘蔵信供之墓

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