織田軍が設楽原へ布陣したとき、秀吉は牛倉の高台の一つに陣をしいたという。
秀吉が布陣したとされる一帯の宗国を、土地の人々は「はたぼこ」と呼び、四百余年前のできごとを今に伝えている。
当時、上り坂の羽柴秀吉軍の”旗が風になびく“姿が目に浮かぶ名前である。
ここの峰続きは信長本陣の茶臼山であり、信長の信頼を感じさせる場所といえる。
この戦いの前年、秀吉は、木下藤吉郎から羽柴筑前守に改めている。
この時の信長の記録にも「羽柴藤吉郎」とあり、木下から羽柴への変わり目の時期でもあった。
羽柴秀吉陣地の石標