長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

設楽原の象徴的風景である馬防柵も、謎が多い。
地元の古い文献は次のように記し、連吾川と大宮川で二重にしたという。
・陣取ノ前ニ柵ヲ二重ニ付ル、川路連五ノ橋ヨリ浜田ト云所マデ、樋橋ヨリ大宮辺マデ付タリ。
今、連吾川沿いに一部が再現され、周辺の里山から径十・以下の細いヒノキを間伐して使用しているが、当時の山にヒノキの植え込みは期待できない。
相手の突進を止めるためには、ある程度の径と高さが必要で、かなりの重量になる。
遠方からの調達は困難と思われるが、家康記録の「武徳太成記(巻九)は次のようにいう。
・信長岐阜ヲ発スルトキ衆ニ令シテ、人コトニ柵ノ木一根・縄一車ヲ持シム。
岐阜から「一人一本」は疑問だが、二人なら可能性がある。
大量の鉄炮運搬のカムフラージュにもなるし、戦いとなれば鉄炮の銃架にもなる。
柵材は、地元と岐阜の半々位であろうか?

半場川(第三の柵場)

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