設楽原歴史資料館から台地の坂を下って市道須長線に出たところが「柳田の辻」である。この辻の北側に、ここで壮烈な戦死を遂げた甘利信康の塚があり、ダンドウ屋敷の伝説が残っている。
甘利郷左衛門尉信康は、武田発祥の地である山梨県韮崎市「甘利庄」の豪族で武田譜代の重臣である。父・虎泰や兄・昌忠の後を継いで、領内の甘利山を開放して地域の産業に役立てるなど文武に優れた武田名将の一人であった。
百九年前の桜内調査は、甘利の塚を次のように記している。
「天王ノ畑中ニアリ、高サ三尺積、二坪程ノ小高キ堤然タル墳アリ、ソノ上ニ桜ノ古木一株アリ、之ヲ墓標ナリト称ス。」
桜の古木は、四百年前に武田軍が越えることのできなかった連吾川の移り変わりを、今も同じ姿で見つめている。
甘利郷左衛門尉信康之碑