長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

五月十八日、設楽原の連吾川沿いに織田・徳川の大軍が布陣すると、渡河に慎重な声を抑えて勝頼は設楽原進出を決断した。
豊川(滝川)を渡った武田の各部隊は連吾川を見下ろす信玄台地(当時は柳田山とか横手山の名前)一帯に陣を構えた。
かんぼう山系から南に大きくはりだしたこの台地は小さな谷と山が入り組んだ形で陣を敷く格好な場所であった。
台地の中央に位置する「赤ハゲ(才ノ神)」の山は台地の一番高い場所であると同時に、東西に一番くびれた所である。
西側正面には連吾川の流れと連合軍の布陣する弾正山の台地が手に取るように見える。
裏手の東側は、下々の四反田川から清井田・有海原方面が見下ろせ、その向こうにははるか信州の山並みが見える。
武田勝頼本隊は、ここに最後の戦地本陣を置いた。
昭和十年台までは文字どおりサバ土がむき出しになった赤ハゲ山で、連吾川方面がよく見えた。
今は植え込みのスギ・ヒノキが成長して見通しはよくないが、梢を渡る風は、往時のままである。

武田勝頼観戦地の石標

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