長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

天正三年(一五七五)五月。
戦いは、長篠城をめぐる奥平軍と武田軍の攻防から、五月二十一日、設楽原での織田・徳川連合軍と武田軍の全面対決へと進んだ。
このとき、徳川家康は、両軍激突の連吾川を目の前に見下ろす弾正山(断上山)に本陣をおき、武田の主力を迎え撃ったといわれる。
危険な最前線に本陣を構えたのは、信長に援軍を頼んだいきさつからであろうか?

徳川家康本陣の石標

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