設楽原決戦から十五年前の永禄三年(一五六○)、
当時二十六歳であった織田信長は、桶狭間で今川義元を倒した。
わずか二千の織田軍が、二万五千の今川軍に勝利した。
その時の義元と同じ四十一歳になった信長は、設楽原では逆の立場で武田軍に対した。味方は大軍の三万五千、相手の武田軍は一万二千。武田勝頼は二十九歳であった。桶狭間の迅速・果敢な攻撃から一転して、馬防柵と火縄銃による「待ちの戦い」をとった。「守りながら攻める」鉄炮の特徴をねらったのである。
戦国の流れは、信長の時代へと大きく動きだした。
竹広激戦地の石標