長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

・長篠城救援の信長本隊は、設楽原で武田軍を待つことにした。
・一方、信長は長篠救援と武田軍の後方撹乱をねらって、別働隊に鳶ヶ巣奇襲を命じた。
この鳶ヶ巣奇襲隊の進んだ道筋は、川路の広瀬で豊川を渡り、塩沢から吉川に抜け、豊川沿いの舟着山を南に避ける大迂回作戦であった。
現在の吉川区公民館から大峰川に沿って山道に入り、舟着山南斜面の松山峠を目指す。
峠から北斜面に出て、常寒山の山腹を経て鳶ヶ巣に至る杣道は、土地の者でなければ見当もつかない。
当時、吉川在住の豊田藤助が吉川から先導したといわれるが、いくつもの険しい峠と谷をつなぐ難路の道案内は地元の藤助なしでは不可能であった。

鳶ヶ巣山奇襲隊松山越の地

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