長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

連吾川は不思議な川である。「かんぼう山」を駆け下りた三つの沢が、ふもとで一つのおだやかな小川となり、設楽原を北から南へと流れる。馬が走れば一跳びほどのやさしい平原の川であるが、二キロほど流れると、川の様相は一変して川岸は断崖となり、深い谷を刻む。JR飯田線の連吾川鉄橋がその谷の始まりである。
中流の小川に沿う低地は早くから水田が開け、四百年前の慶長検地帳等で見ると、川筋の開田は現在とあまり変わっていない。つまり、この地形は右岸の織田・徳川軍にとって守りやすさを、左岸の武田軍にとっては攻めにくさをもたらした。
田んぼのぬかるみを避けて、その間から攻める武田軍は、馬防柵で待ち受ける連合軍の鉄炮に大打撃を受けて敗退した。

連吾川

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