「中にも、馬場美濃守手前の働き、比類なし」
これは、設楽原決戦を記した織田信長の記録『信長公記』の文である。敵方からも「比類なし」と称えられた名将・馬場美濃守信春(信房ともいう)は、信州更級郡・牧の島の城主で、御幣の旗印の行く所「敵影をとどめなかった」といわれる。
設楽原では、武田軍の右翼として須長の丸山方面で戦った。大勢が決し、勝頼本隊が引き上げるのを援護しながら出沢の橋詰まで後退し、ここで最後の攻撃に出たという。六十二歳の最後であった。戦死の地に程近い前畑の美濃守墓前では、今も「美濃守さまの幟祭」が行われている。
馬場美濃守討死の石標