五月十八日、「織田・徳川」の連合軍が、設楽原に布陣したとき、連合軍の主力(前線)部隊は弾正山台地周辺に陣を置いた。
その
・台地の東側を連吾川が南に流れている。
・台地の西側を大宮川が南に流れている。
東側の連吾川は、武田軍布陣地の正面で、川沿いに武田軍の侵攻を阻むために馬防柵が作られ、二十一日両軍激突の舞台になった。
西側の大宮川は、最前線に対し台地で遮られた地形で、周辺は兵站基地として重要な役割を果たしていたと思われる。
一帯に展開する連合軍の大部隊・それに多数の馬を加えると莫大な量の水が必要になり、村の井戸水でまかなえるものではない。
「かんぼう」の山々の水を集めて流れる大宮川は、連合軍の人馬にとって貴重な存在であったに違いない。
今でも、少し川を遡ると、山つきでは生活用水の名残をとどめ親しまれている。
大宮川