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奥三河の農耕儀礼

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迷信の民俗学1
高度成長と農耕儀礼の変遷2
高度成長と農耕儀礼の変遷1
雷の話2
雷の話1
祝いの食品3 里芋の儀礼食
祝いの食品2 赤飯1
祝いの食品1 餅
神の子の話
人生の通過儀礼3・子どもと病気の民俗
人生の通過儀礼2・元服
人生の通過儀礼1・子どもの成長
果樹の話8・無花果と線香焚き
果樹の話6・梅と梅干2
果樹の話6・梅と梅干1
果樹の話5・橙と注連飾り
果樹の話4・柚子
果樹の話3・桃
果樹の話・柿2
果樹の話・柿1
野菜の話 5.種子の話
野菜の話 4.カボチャとゴボウ
野菜の話 3.茄子
野菜の話 2.キュウリ
野菜の話 1.大根
作物の話 8.大豆の話 2
作物の話 7.大豆の話 1
作物の話 6.蕎麦の話
作物の話 5.黍と蕎麦
作物の話 4.粟
作物の話 3.稗
作物の話 2.里芋
作物の話 1.里芋
動物物語4「神の使者たち」
動物物語3「神の使者たち」
動物物語2「神の使者たち」
動物物語1「神の使者たち」
講の話『庚申講』3
講の話『庚申講』2
講の話『庚申講』1
食の文化 2
食の文化 1
峠の伝説 4
峠の伝説 3
峠の伝説 2
峠の伝説 1
馬の話 3
馬の話 2
馬の話 1
 
 婚姻の民俗学1

▲婚礼姿

  婚姻届は市町村役所の市民課、または、町村の住民課に提出すれば「預かり」として受け付けてくれる。預かりとするのは、婚姻は民法第731条で男子は十八歳、女子は十六歳以上であること、重婚、近親婚でないこと、女性は離婚後六か月を経過していることを後日に調査して、問題がなければ提出日の日付で受理される。近年は、さまざまな議論があったが、同姓婚を認める国々が増加した。
  世の中には、法律上の婚姻の手続きをとらずに、同棲生活をする男女もいる。そうした生活を今は事実婚といい、昔は内縁といった。民法では内縁を配偶者として認めない。
  世の中には、法律を悪用する悪人もおり、偽装結婚の届出をして日本に滞在する外国人もいるという。また、偽装離婚をして借金取りから逃げ回っている人もいると聞いた。
民俗学では、近世の婚姻の形態は祝宴をする場所と、その後の生活をする場所により次のように分類をする。
一、嫁入婚(婚礼祝いを婿方でする)
二、婿入り婚(婚礼祝いを嫁方でする)
三、足入れ婚(古い婚姻の形態で、村内婚が多い時代に、妻問い・通い婚といい、男性が嫁の実家に通い夜間一・二年を過ごす、愛知県の日間賀島ほかに今も残る)
現代は、結婚の意思があっても結婚できない若者がいる。結婚できないのは経済的な理由と、恋人ができないことが原因という。昔は身分の格差が、結婚の障害になった。平安末期・鎌倉初期の歌人・西行は、下級武士で宮廷の貴人との格差により恋がみのらず、出家したという。江戸中期の歌舞伎の脚本家の近松門左衛門は、身分違いの男女が結婚できず心中する作品を発表して歌舞伎ブームをおこした。
日本では重婚を禁止しているが、権力者や金持が妻以外の女性に子を産ませた例も多い。世界の婚姻の風習は多様である。アラブの富豪は複数の妻をもつ一夫多妻を許されるが、その由来はイスラム教の開祖のマホメットが、布教戦争で死亡した戦士の未亡人や子供の扶養を富豪に割り当てたのがおこりとの説がある。ネパールには、多夫一妻の制度があり、兄弟で妻を共有する。古代には奴隷制度があり、人を売買した。インドでは、花婿が花嫁の家に多額な結納金を送り婚約が成立するが、結納金のない貧乏人は結婚できないという。インドの文化人は、この慣習は昔の人身売買の名残と批判する。日本にも婚約が確定すると、結納を仲人が嫁方に届ける。金銭、スルメ、昆布など七品を贈るほか、婚礼の披露宴、新婚旅行など高額な金銭が必要となる。
  結婚年齢は時代とともに変わる。江戸時代の平均的な結婚年齢は、男十八―二十歳、女は十六―十八歳の早婚であり、四十歳にして孫、六十歳にして曾孫を抱いたという。明治の男性は二十五歳ごろまでに、女性は二十三歳までには結婚した。江戸時代の農山魚村は、年齢に応じ集団で村の行事を分担する義務を負わせた。この義務を年齢階梯制度といい、子供組、若者組、娘組、宿老、年寄という組織があり、例えば子供組には、ドンド焼、虫追い、鳥追いの年中行事をさせた。
  娘組・若者組には祭、盆行事、盆踊を分担させた。娘組と若者組は、戦後に青年団と改名し地域の年中行事、消防活動を担った。村内婚では、青年団活動で恋愛して結婚をする者がいた。特に青年団が主催する祭と盆踊は、若者の交際の場になるので、親は娘に晴れ着を着させて参加させたとの伝承が多い。民俗学者は、青年団の消滅で農村の男女の出会いの機会が減り、婚姻に影響が出たと指摘する。
結婚は昔も今も、恋愛結婚と見合い結婚に分けることができる。恋愛結婚であっても、婚姻両家を仲介するものとして仲人をたてる。見合い結婚は仲人の役割が大きく、昔は仲人をハシカケ、クサムスビとよぶ地域があり、奥三河ではチューニンとよんだ。
仲人は婚姻を成立させるためには、まず、両家の格式、経済力が似ているものを選び、男女の容姿や学歴や趣味などを考案しながら格差のない者同志を紹介し、見合いをさせた。
  昔は格差があると、婚姻両家の後の付き合いができないとして嫌がった。昔の農家や商家は、嫁は労働の担い手であった。そのため、親は娘の幸せを願い、相手方の身上調査をして見合いをさせるか、否かを決めた。昭和四十年代の女性の理想的な結婚相手は「ジジ抜きババ抜き、三食、昼寝つき」といい、親と同居する長男は敬遠された。また、3Kといい「きつい、汚い、危険」な、仕事をしている人との結婚は敬遠された。(続く)


文:新城市平井  伊東 文弘 絵:新城市大海  前田 百合子



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