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奥三河の農耕儀礼

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果樹の話6・梅と梅干2
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動物物語3「神の使者たち」
動物物語2「神の使者たち」
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峠の伝説 2
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 婚姻の民俗学2

▲神式の結婚式

 神話では、男女を結びつける婚姻は「縁結びの神」の大国主命が住む出雲大社(島根県出雲市)に地方の神々が集まり、未婚者の縁結びの神議(相談)をすることから始まるといわれる。神の集まる月は、神無月(十月)である。神話では、神議で決めた縁が男女の運命的な出会いをして結婚するという。今も良縁を願って、出雲大社に参拝する人が多い。
 各地の神社に、良縁を願って願掛けをする「縁結びの木」がある。多くの場合は、松の古木で、神霊が宿ると考えられていた。松は正月飾りにも使われ、古代から神の宿る木とされた。願掛けの方法は、神社にお参りをして願を掛けた後、松の小枝に親指と小指で男女の名前を書いた「こより」を結びつければよいと信じられている。また、二股の古木も性信仰とともに、縁結びの木として信仰された。絵馬に、恋人と結婚できることを祈願する若者もいる。逆に縁切りを祈願する「縁切り榎」も各地にある。 
 民俗学書は日本の婚姻について、現代人には奇習や俗信と思われる慣習を記載する。世界遺産として有名な白川郷の合掌造は、巨大な急勾配の切妻屋根の三角形をしていて、三階、四階を設け、屋根は薄で葺く。合掌造の家は、飛騨白川から庄川沿いの五箇山(富山県南砺市:旧平村・旧上平村・旧利賀村)を中心にその周辺にある。
 江戸時代は合掌造の家に、十数名から三十名ほどの大家族で住んでいた。白川郷の合掌造の家は、長男のみが嫁を迎えることができ、次三男以下と嫁に行かない女性はみな生家に残り働く。この女性に他所の家の男と恋愛して生まれた子は、女性の実家の苗字を名乗り家族の一員として育てる。父親の男性は生涯、通い婿として「妻問い」を続けた。一生独身で過ごす老人の男性はオンジイ、女性はオンバアとよんだ。江戸時代の白川郷では、分家を許さなかったので、次三男は婿養子になる以外に正式の妻を持てなかった。
 岩手県や青森県にも、分家を許すものの、近くに住み大家族制で働く旧家があったと記載する。この制度を、同族家族制度とよぶ。白川郷などの大家族制度は、明治末に崩壊し、巨大な合掌造の家のみが残った。
 民俗学者は、大家族制度の特徴を次のように分析する。
一、多大な労働力を一つの家に結集させておく必要性のある地域に発達した。農業が機械化する以前は、同族で農業をした。
二、分家を制限、または、禁止する慣行をもつ地域である。
三、多数の家族を統率する家長権、主婦権が存在する。
 戦前は、家を継ぐ長男は子供の頃から、特別な待遇を受けた。特に武家社会では、家長が絶対的権力を握り、長男は将来的に家長になるので優遇された。明治民法では家督といい、財産、地位身分、祭具、墳墓祭祀も家長が継承した。しかし、戦後の新民法は、家族は平等になったが、田舎では、戦後も老人は家の存続を心配し、死後に位牌や墓を祀る者が絶えることを恐れ、子孫の繁栄を願った。祀られない霊は、餓鬼になり祟るといわれた。
 武士や農民が分家を許さない理由は、財産
を分散すると零細になり、破産しやすくなるためだ。農民の財産は水田であり、分家に水田を与えることを「田分け」と言った。農民は愚かな者をさす言葉は「アホ、バカ、タワケモノ」とよび、分家を戒めた。
 私の故郷は、浜松市佐久間町である。故郷の生活を顧みて、田舎では家督を継ぐ長男が優遇されていると思った。その理由は、長男に老後を扶養してもらうという下心があったからだ。その極端な例は、長男は進学させて、次男以下は丁稚小僧にさせる家もあった。また、逆に長男には生活できる資産を継承させるので、次男以下を分家させる代わりに進学させる家があった。長男が進学して帰らず、進学しない次男が家を継ぐ家もあった。 

 農業は古代から、多大な労働力を必要とした。そのため、労働の貸し借りをする結という制度があった。結の本来の語意は結合・共同である。ユイを結ぶのは親しい間柄で、農業ではユイ、漁業ではモヤイといい、労働の交換であった。借りた労働は必ず返すが、返却できないときは金銭の日当を払った。結は一般には、田植、稲と麦の収穫であり、ほかに屋根替えや葬式でも行った。ユイは、元来は血縁関係の家に発生した合力であり、奥三河では結婚した男性が、嫁の実家の田植や稲刈りをした。      (続く)


文:新城市平井  伊東 文弘 絵:新城市大海  前田 百合子



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