JA愛知東
緊急連絡先  
powered by Google
JA愛知東について 事業所案内 農の情報 暮の情報 イベント情報 採用情報 JAからのお知らせ
TOP > 郷土の小道

バックナンバー一覧
設楽原古戦場(す)
設楽原古戦場(せ)
設楽原古戦場(も)
設楽原古戦場(ひ)
設楽原古戦場(ゑ)
設楽原古戦場(し)
設楽原古戦場(み)
設楽原古戦場(め)
設楽原古戦場(ゆ)
設楽原古戦場(き)
設楽原古戦場(さ)
設楽原古戦場(あ)
設楽原古戦場(て)
設楽原古戦場(え)
設楽原古戦場(こ)
設楽原古戦場(ふ)
設楽原古戦場(け)
設楽原古戦場(ま)
設楽原古戦場(や)
設楽原古戦場(く)
設楽原古戦場(お)
設楽原古戦場(の)
設楽原古戦場(ゐ)
設楽原古戦場(う)
設楽原古戦場(む)
設楽原古戦場(ら)
設楽原古戦場(な)
設楽原古戦場(ね)
設楽原古戦場(つ)
設楽原古戦場(そ)
設楽原古戦場(れ)
設楽原古戦場(た)
設楽原古戦場(よ)
設楽原古戦場(か)
設楽原古戦場(わ)
設楽原古戦場(を)
設楽原古戦場(る)
設楽原古戦場(ぬ)
設楽原古戦場(り)
設楽原古戦場(ち)
設楽原古戦場(と)
設楽原古戦場(へ)
設楽原古戦場(ほ)
設楽原古戦場(に)
設楽原古戦場(は)
設楽原古戦場(ろ)
設楽原古戦場(い)
 
郷土の小道
 設楽原古戦場 いろはかるた巡り


きょう めざす
武田 たけだ 雄図 ゆうと
今悲 いまかな


古戦場かるた四十八句の締めくくりは、「今悲し」で結んでいる。
この「悲し」には三つの気持ちが込められて詠まれたという。
第一は、天下に迫るところまできた「武田の雄図」の挫折である。
それだけ織田・徳川連合軍に敗れたここでの痛手は大きかった。
第二は、七年後に甲州の田野(天目山)で勝頼が自刃して、戦国武将の武田氏は滅ぶが、
(勝頼)若きが故の敗戦の悲しさがある。
第三は、平安末期武田の庄から始まって、五世紀にわたって甲州の本主として存続し、
近隣諸国に大きな影響を与えてきた名門の歴史の悲しみである。
天正三年春、甲州を出発するとき、武田軍に「京めざす」意図があったとは、出陣規模からみて考えられない。
だが、信長全軍が設楽原に布陣して、長篠城包囲の武田軍に迫ろうとしない様子に、
總指揮官勝頼は「京めざす」幻影を見たのであろうか。
決戦前日の勝頼書状は、「敵・・・一段と逼迫の躰に候」と記している。



▲馬防柵から望む設楽原古戦場

看板場所:新城市川路字夜燈20-1

〈参考文献〉「かるたでつづる設楽原古戦場」
(設楽原をまもる会)
 

ご利用にあたって個人情報保護方針リンク集

Copyright(C) 1997-2007 JA AichiHigashi All rights reserved.