長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

明治元年(一八六八)生まれの牧野文齋氏は、私立信玄病院長として門前市を為すほどの名医であったが、医業の傍ら長篠・設楽原古戦場の史蹟保存の活動を進めていた。
氏の立ち上げた古戦場顕彰会は、大正三年、四十余の戦績案内碑(三尺高の石標)と十三の武田将兵墓碑(四尺高)をゆかりの各地に建てた。
翌年顕彰会の設立総会を、信玄花菱座(牧野氏経営)で開いたが、五一才の時、大きな転機を迎えた。その事情を、氏は次のようにいう。
「大正七年糟糠の妻を失い、孤閨悄然ならじと奮然決起して筆硯に相親しむことにした」
それから三年、最初の原稿をまとめると、以後、『長篠戦史考』『設楽史要』『戦国時代史論』の大作を二千五百枚にまとめた。
その一部が設楽原をまもる会出版の『文齋遺稿|設楽原戦史考』である。

信玄病院跡地の石碑

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